ピっちゃん

ピっちゃんももうすぐ6歳か。
forblog728.jpg
渋谷の西武の屋上のペットショップで買ったんですよ。ちょっと体重が増えすぎたので、老後?に向けてダイエット中。
そういえばシイタケ君も、同じペットショップで買いました。買い物しなくても遊びに行ったりして、常連です。なんというペットショップか名前は実は知らないけれど、仕事をリタイアしたようなおじさんおばさんが働いていて、世話が良く行き届き、そこにいる動物は皆可愛がられている顔をしています。カメを買うにしろ、鳥を買うにしろ、おすすめ。
ただし、買うときは責任もって飼って下さいね。

広告

終わらない悪夢

信じられないことに、姉さんがいる専攻では学位授与式の後に謝恩会を「しなければならない」らしい。教員に「感謝」する会だから、学生は教員がタダで参加できるよう、教員の会費分も負担することになるらしい。高額の会費を払うことになり、そして、参加不参加に関わらず、今年度に卒業する修士と博士からは強制で会費(1万円を超える。)が徴収されるらしい。
大学までなら謝恩会があっても仕方がないような感じがするが(当時は文句タラタラで参加したが。)、大学院でまでやるのか、謝恩会。
大学院で謝恩会なんて今まで聞いたことないし、姉さんと同じ大学の他の専攻で修士に行った友人や、他大学院の修士に聞いてもそんなものはないと言う。そもそも、おかしいと思うのが、
・参加不参加に関わらず、ここの専攻から外に出る人間全員から強制的に会費が徴収されること
・委員長はどうも教員によって任命されるらしいこと
有無を言わさず、ってことか。しかも博士まで対象になっている。謝恩会委員会なるものが修士の学生で構成され、役割分担し、役割によっては謝礼が出る(こんなこと工夫する意味あるのか?)。この訳のわからないシキタリが、代々踏襲されてきたらしい。
普通に考えたら、大学院だし、参加したい人間だけで、その人数でまかなえるスケールで行うべきだろう。そして、これは学生が提案して行われるべきイベントであって、教員が言い出しっぺになって行われているのもおかしい気がする。仮に学生が言いだして企画しても、もしそれで学生が集まらないなら、それは学生が本当に感謝していないからであり、しょうがない。
どこからどう見ても、これは謝恩会ではなく、「ここから出ていくやつは全員、俺達にできる限り盛大に感謝しろ会」である。おそらく教員が盛大に感謝されたくて、しかも、学生が集まらないのは嫌なので(つまり実はあまり感謝されてない現実を知るのが嫌なので)、強制徴収という形をとったのだろう。修了していく全員から徴収することで、金額的に規模は可能な範囲で最大になり、しかも、お金を取られるなら出席するしかないという理由で、学生は殆ど出席する。
ここの専攻の教員が無駄にイベント好きで、しかもちょっとアレなのは分かっていたが・・・
このイベントが存在すること、それが何の疑問も無く代々踏襲されてきたことが、この専攻の性質を要約しているような感じ。最後の最後にこれが来るとは。神様には感謝しているが、教員にはこれっぽちも感謝していない。もはや笑い飛ばせない。しかも、例によって姉さんの同期は働かないので、姉さんが研究室代表(委員の一人)。
最後の最後まで、学生は教員がfeeling superiorするためのお手伝いをしなければならないのか。お金を払ってまで。
もうここまで来てボイコットとかするつもりはないが、参加はしたくない。参加しなかったことでつべこべ言われても、つべこべ言うのは思考回路が停止した、狭い世界の住人達。その外にある社会に出ていく人間にとって、そのつべこべが何の意味を持つだろうか。

カメまくら

カメってやはり1匹で飼っててもつまらないんだろうなぁ。
今日はこれやってました。
forblog726.jpg
「カメまくら」
ジロがシイタケ君の甲羅をまくらにして寝ていました。2匹は種類は違うのに、飼い主には分からない言葉で交信しているらしい。
forblog730.jpg
ピっちゃんです。
研究室では「引き継ぎ」という試練が待っている。あのとんでもないポスドクに、実験のやり方を一応見せておいて、新しい修士が入ってきた時にスムーズに教えられるようにしたいそうです。姉さんが「じゃあ細胞をカウントして播くところから始めます」といったら、「細胞って数えるの?!」と言われ唖然。姉さんが2年間に渡り研究報告会とかで定量的な実験について報告してきたのに、そういうことが想像できないのか。ていうか、テクニシャンには細胞数を数えさせていないのか。それ実験のやり方まずいだろ。このような人に「引き継ぐ」意義が分からない。
修論発表終わったら解放されると思ったが、その後も、このけんきゅーしつでは唖然とする予想外の出来事ばかりを経験しなければならないのだ。もうお腹がいっぱいです。
脱力感を味わうだけではなく、「恐ろしい!!!」という気分になる環境でもある。狭い社会でボスがルールになり、その他のメンバーは受動的に、ボスがルールだと信じている。積極的に「生きている」人はおらず、「生かされている」人ばかりがいる。まじめに仕事をしている人などいない。そのような環境を変えたくて、誰かにアプローチしても、話を本質から逸らされる。結局、99%の人は自発的に何かを変えたいと思っていないのだ。なぜだれも疑問を口にしないのだろう。
そんな場所からは出ていけ、と皆言うだろう。姉さんも出ていくし、もちろんここに入ったのが自分の責任であることは承知している。就職した友人も「それが会社なら私は辞める」と言う。
でも会社じゃないのだ。問題は、こういう環境が教育機関であり、研究機関である大学院に存在すること、その活動はフルに税金に頼っていることだと思う。はっきり言って「高学歴になっちゃった」人達のおままごとに税金が投入されているようなものではないか。極論めいたことを言ってしまったが、投入されてきた税金の額が大きすぎると思う。姉さんが見ているのなんて氷山の一角なのだろうな。
少子高齢化と大学院離れが進み、奴隷がいなくなったら、この世界にも変化が訪れるのだろうか。それとも、秋入学導入と共に、現在既に起きている「学生」の輸入が加速し、税金は今までと同じように投入され続けるのだろうか。でも税金を払う側の人数も減っていくわけだから、一体どうなることやら。

終わりました

修論発表会(修論提出だけじゃ終わらんのだ。プレゼンがある。)が無事終わりました。質疑応答も120%の出来で突破できましたので、確実に通ってると思います。
というわけで、12月最後からの空白の時間に何をしていたか振り返って見ようと思う。
まず、修論書かなきゃいけないのに、12/31のカウントダウンコンサート@BlueNote Tokyoに友人と行き、FourplayのBob Jamesと握手してもらう。
forblog722.jpg
Bob James見るのは実は2回目。
そして、修論殆ど書いてないのに、1/7辺りに、弟とThe Phantom of the Operaの25周年記念収録を映画館に見に行く。そのDVDを購入することを決意する。
修論執筆からの逃避を続けつつ、1/13にJackie Evanchoのコンサートに行く。
forblog725.jpg
その後にようやっと重い腰を上げて修論仕上げにかかる。でもやはり研究室の異様な静けさと、時たま聞こえる陰口だったり、どうでも良すぎる会話のため集中できず(あと、寒過ぎて)、殆どを図書館と家で書きあげる。
Employerさんとはメル友?の様なやりとりをしつつ
時にはカメを甲羅干しさせたり。
forblog724.jpg
それで、修論提出後にも大変だったのは少し前のエントリーにも書いたが、博士進学希望者が全く発表練習のセットアップとか教授との日程調整をやろうとしない(ていうかまず研究室に来ないし、メールや電話にも出ない。音信不通!)ので全て自分でやり、なんとか4回の練習を経て本番へ。
でもその4回目の練習でも、なぜか博士進学希望者が時間になっても現れず、自分の番ぎりぎりになって現れる始末。さすがに一同唖然。
博士進学希望者ちゃんは、練習回数を増すごとにやる気が出てきたらしくて、色々「手伝ってくれる」ようになったのだが、なぜか未だにプロジェクターの使い方とかが分かって無くて姉さん唖然。今まで何回プロジェクターを使う機会があっただろうか・・・なぜ覚えようとしないのかは謎。
そして本番の日の昼と、発表の待ち時間に割と大きい地震。なぜそういう大事な日に地震が起きるのだろう。
まぁでも本番は全員上手く行ったので、それまでたまってた鬱憤もぶっとんだ感じだ。
で、今日はMother and ChildのDVDを見ます。一昨年トロントから帰って来る時に飛行機の中で見たやつ。

しいたけ君5周年

明日でシイタケ君を飼い始めてから5年が経つ。まだ卵黄嚢がお腹に付いてる時に買ったので、5歳ということになる。
forblog720.jpg
シイタケ君が来る前に、タケノコ君というクサガメを飼っていたのだが、かなり小さいまま成長が止まってしまい、カルシウムも与えて日光浴をさせているにも関わらず、甲羅がやわらかめだった。あれは、今考えてみると先天性の病気だったんだろうな(死因は棚から落ちたことによる甲羅損傷)。
シイタケ君は甲羅が硬くて、とても活動的なので長生きすると思う。
-----------------------------------------------------------------
あともうちょっとで修論のプレゼンがあって、そしたら全てがおわる。修論を出してからプレゼンまで2週間しかないので、もっと気楽に過ごせるかと思ったが、いつも予想は裏切られる。
というか、このけんきゅーしつ、予想外のことばかり起きるのだ。悪いことしか起きないってところがポイント。姉さんの同期は1人が壊れて休学、2人は博士進学希望者。その博士組が大変で・・・博士に行きたいなら、普段のセミナーでの態度とはうって変って、修論提出後のプレゼン練習のこととかでイニシアティブを発揮してくれるだろうと勝手に思っていた。しかし、現実には予想外のことが起きた。
そもそも、修論が書きあげられなくて大変だった。ポスドクが付きっきり。提出期限のどれくらい前までに教授に提出して、チェックしてもらおうとかいう気はないらしい。てか、チェックはしてもらわないとイケナイのだから、提出期限が迫る前に教授に渡さないとダメだ。「見て頂く」のだから。その辺の意識がないらしい(けんきゅーしつで唯一まともなポスドクもそう言っていた)。
そして、修論を提出した後に、中々研究室に現れない。姉さんも修論執筆中のダメージから癒えるため2日間休んだが、彼ら、プレゼンの練習日をもう決めなきゃアカン!という日になっても来ないのだ。なんかイライラしたので姉さんが勝手に教授と話して日時を決定。彼ら、普段のセミナーの時も仕事してくれないのだが、今回も姉さんがやることになるとは思わなかった。練習当日のプロジェクター準備とかも姉さんがやることになるんだろうな(きっと彼らは練習が始まる直前の時間までパソコンに貼り付いていると思う)。
予想外ですYO!だって、修論執筆と発表くらいできなくて、どうやって博士号取得するんだYO!唖然。
そんな滅茶苦茶な状況で、姉さんはけんきゅーしつの機器のメンテナンスをM1に引き継ぎしたりしなきゃいけなかったりで・・・そういうメンテナンス系の仕事や、コンピテントセル管理(引き継ぎ済み)にも、博士組は口を出してこないというか、興味を持ってくれなかった。さらに文句を言うと、このけんきゅーしつの他のメンバーが実験機器とかを丁寧・清潔に扱ってくれないことが多いので、実験をしていた時は機器の掃除から始めなければならない時が良くあった。ここにメンテナンス系の仕事が入り、さらに実験指導もしてもらえず(というか誤ったことを習い)、これでおかしくならない人がいるだろうか・・・。
あと、けんきゅーしつがとんでもない悪循環に陥っていることに気付かない教員達。あなたらが昼休みに話している内容を聞いて、頭がおかしくなりそうだ。内容は書かないけれど、姉さんはもはや教授も准教授も、人間的にも学術的にも信じていませんよ・・・・
無事に毎日を乗り越えるので精いっぱいですよ。

出した。アレを。

ついに昨日アレを出した。学位論文。
まぁ予想はしていたし、驚きではないが本当に穴だらけの論文だ。でも出来る限りのことはした。
いざ論文としてまとめだすと、そもそも与えられたテーマに論理的な筋が通っていない(単なる教授の頭の中の夢物語である)ことに気付いたり、始めの1年と半年に「チューター」という名のポスドクだったり「指導教官」という名の教授に「指導」されて行った実験がどれだけ不適切でバカバカしいものだったかを改めてシミジミと感じ、吐き気がした。結局姉さんが全てに気が付いて、このけんきゅーしつでまともに実験できたのは最後の4ヶ月だけである。
修論を書こうとして新たに愕然したことも沢山ある。
けんきゅーしつの皆さんが使っていたプロトコルが間違っていて、さらに、とあるポスドクが良かれと思って購入していた試薬も、けんきゅーしつで使ってる細胞株には毒性が強すぎることに気が付いて、残された少ない時間で実験系を確実に動かすための方法をリサーチして実験を行ったその一連の流れは、同じチームのポスドクの目に「○○(姉さんの名字)さんが色々頑張って条件検討した」という風にしか映っていないことも判明した。その「色々頑張って条件検討した」ことを論文に書けと言ってくるのだ。実験系が上手く動かなくて、でもその実験系が動かないと進まない研究をしていて、残された時間が少なくて、でも他の複数のグループが同じ実験系を用いた研究をしているのなら、それらのグループで上手くいっている方法に習うのは当然の選択だと思う(そもそもその実験系の構築は目的ではないし)。その結果判明したのがけんきゅーしつのプロトコル間違いと、ポスドクの試薬勘違いだったのだ。一体その顛末をどう書けと言うのか。
さらに愕然としたのは、そういったことを姉さんが指摘してきたにも関わらず、「指導教官」にはその一連の流れを、「姉さんが適切な細胞株を用いてなかったために実験系が上手く動いてなかった」と書くように言われたことだ。確かに姉さんが始めに使った細胞株はあんまりあの実験に向いてなかった。でもそれはこの話の本質ではなく、そもそも実験の原理すら踏まえずに日々の実験を行い「けんきゅー」を行っている研究員が多くいることが問題になるはずだ。普通なら。そして、そのような研究員を育てたり、雇ったりする側に責任があるはずだ。普通なら。
考え方に論理が通っていなくて、大した議論もなしに、感情論で物事が進む。
サイエンスが目的の集団だったら、今まで姉さんがショックを受けてきた物事の数々は起こらないだろう、と最近思うようになった。いや、ある意味気が付いた、というべきか。
姉さんがいるけんきゅーしつがおかしなことになっている大きな原因は、そもそもボスの興味がサイエンスではなく、サイエンスを通じて築き上げる名誉にあることなのだ。自分がどれだけ「偉く」なれるか、そのおかげでどれくらいの研究費を巻き上げられるか。
それを基準に研究テーマの吟味をするし、共同研究は自分が上に立てる場合しかやらない。よって、自分のけんきゅーしつを卒業した人達としか組まない。
一番恐ろしいのが、データの吟味までそのような視点で行われ、誰もそれに異を唱えないことだ。ポスドク達は、まるで偉くなりたいボスの奴隷の様に見える。彼ら自身の人生は一体どこへ行ってしまうのだろう。他のメンバーも、「意見を言う」ということをしない。このような環境は、やがては捏造の温床となるだろうし、もう既に起きている可能性もある、と姉さんは思うようになった。捏造が仮に起きなくても、サイエンスと呼べる所業ではない。
こういうけんきゅーしつに限って莫大な研究費を「当てる」のが不思議だし、遺憾でならない。研究費は、元を辿れば税金である。沢山の人が一生懸命働いて国に納める税金の、一般人から見ればとんでもない桁の金額分が、このようなけんきゅーしつに「投機」されているのだ。サイエンスにも、そこにいる人間のトレーニングにも使われることはない。文科省も、どのような組織にどれくらいの額のお金を落としているのか、あまり把握する気がないのだろうか。この世界には投資という視点はないのだろうか。まともな人がいるけんきゅーしつに限って、あまり研究資金をもらってなかったりするのはなぜなのだろうか。
純粋なサイエンスは税金の助けが無ければ成り立たないのだ。だからこそ、資金の巡りやその消費の仕方に関して、透明性が必要だと思うのだが・・・そのためには第三者機関による定期的な評価が必要だろう。
こういうことに気が付くと愕然とするし、修論を書く手は止まるけれど、知らなくてはならない現実でもあったと思う。理想ばかり見ていても、自分の方向性は定まらないのかもしれない。時には愕然とする様なイベントに出くわして、改めて初心に戻ることが出来るのかも知れない。
でもあのような環境があることを肯定するわけでは、決して、ない。なんか変だ。
forblog719.jpg