researchers in their 60’s

卒業研究発表が終わったのであとは論文を書くのみ。
論文、当初は英語で書きたかったのだがこれ以上そういうことを推し進めるガッツが残っていないので辞めた。
安全に卒業できる道を通るのみ。
今年は自分が卒業するのに加え、2人教授が定年で退官する。
定年で退官する、ってことが無ければ大学にいつまでも古いものが残り風通しが悪いことになる。新しい風が吹き込み続ける方が勿論良いのだが、今日最終講義を聞いていてちょっと複雑な気分になった。
彼らが大学教育課程に入ったのは1960年代。戦後生まれた人間の何倍もの苦労を重ねて戦争を生き残った世代である。実は、苦労することを知っている分、楽しむことも良く知っている。バリバリの研究者としてやってきた人でも、この世代の人間は、研究から”自然”で純粋な楽しさを抽出することを知っているように感じる。
純粋な楽しさを感じられるのは、彼らの世代の研究がそれほどコンピュータ化されておらず原始的な作業から始まっていたこともあるのかも知れないが、やはり厳しい時代を生き残った人達だという理由も大きい気がする。
あの世代が全て去った大学を想像してみると少し怖い。
皆が皆キリキリし始めるのではないだろうか。 
彼らの様な人間がいない場所、すなわち、根本的に何かの楽しみ方を知らない人間しかいない環境に浸かってしまうこと程怖いことはない。
--------------------------------------------------------------------------------–
ところで、最近アジアで有力研究者の争奪戦が起きているらしい。名付けて「アジアの大学の世界レベル化」。アジア(主に韓国、シンガポールと中国)の大学が欧米の有名な研究者を引き抜いている。で、日本は案の定拠点を整備しても、思ったように海外からの研究者をリクルートできない。
世界レベル化ってどういうことだか分からなかった。今でもいまいち良く理解できていない。おそらくつまりは、アジアにも「Harvardレベルだ!」って言える大学が欲しいってことなんだろうか。でも有名な研究者を教授にしただけで、果たして大学自体のレベル(というか教育水準?)が上がるのだろうか。ちょっと良く分からない。シンガポールみたいに、世界から優秀な学生も集められるのなら成功なのかもしれないが・・・
こういう動きは、欧米にとっては脅威だと思う。協定関係を結ぶこともできるのだろうが、やがてはアジアに抜かれるのが目に見えている。仮に、アジア版 Harvard みたいな大学ができて軌道にのったとしたら、アジアの研究者の働き方と、欧米の研究者の働き方の差が浮き彫りになると思う。アメリカにいた時も、アジア勢怖っと思ったことがあった。そういえば。
Globalizationはこわい。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中